環境問題を考えるにあたって

21世紀でもっとも人類が向き合うであろう問題が「環境問題」かもしれない。

「環境問題」は近年やっとこさ、人類一人一人の問題として、意識されるようになってきた。ここ最近では、世界中で毎日のように、「環境問題」を叫ぶデモや集会が行われるようになった。

しかし、「環境問題」を声高らかに叫ぶ前に、我々はしっかりと考えておかなければいけないことがある。

別に「地球」は危なくなんかない

そもそも、近年盛んに叫ばれている「環境問題」は、「人間が生み出した問題」として括られることが一般的だ。人間が、人間のために、人間のための「発展」や「開発」を進め続け、その結果、招いてしまったのが、「環境問題」という名の自然では起こり得ないスピードでの環境変化だ。

ー以下https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/04/より引用(若干編集済)ー

「地球」という星は、約46億年前に誕生した。現在に至るまで、地球上では、何度も何度も生命の絶滅と誕生が繰り返されてきた。

例えば、地球が丸ごと凍ってしまう「スノーボールアース」は3度も発生。この時、赤道付近だけでなく海の中も深さ2000mまで氷に覆われ、多くの生物種が絶滅したと考えられている。

ほかにも、「海洋無酸素事変」とよばれる出来事が、古生代や中生代に繰り返し起こった。その中でも最も大規模だったといわれるのが、2億5100万年前のものだ。地球全体が酸欠状態になり、海では数千万年間にもわたって無酸素状態が続き、地球上の68%、海の生物は96%の種が絶滅したとされている。6600万年前のジュラ紀の終わりに起きた、隕石衝突による恐竜絶滅は有名だが、海洋無酸素事変は、それよりもずっと大規模に生物が死滅した事件だった。

哺乳類が誕生したのは6600万年以降で、人間が誕生したのは、ほんの20万年前だ。もし地球の46億年の歴史を1年間におきかえて考えると、人類誕生は12月31日の23時37分となる。そう、人間は地球史の中では生まれたばかりのニューフェイスなのだ。

地球の生物は最近の6億年間では少なくとも5回、大規模な絶滅を経験した。私たち人間を含む、現在の地球に生きる約870万種の生物種は、地球のダイナミックな環境の変化を生き延びて多様化し進化したサバイバーたちだと言えるだろう。

ー以上https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/04/より引用(若干編集済)

「地球を守ろう」とは

よく、「地球を守ろう」と声高らかに叫ぶ人がいるが、これは正しく解釈しないと、誤りとなってしまう。

この言葉は正しくは「(人間が生きていける)地球を守ろう」だ。

人間がどれだけ温暖化を進めようと、地球の46億年の歴史を終わらすことなどできない。人間が生きていける「優しい環境」は地球から消えてしまうかもしれないが、その中でも確実に生き残り、後世へと命を繋げていく生物もいるだろうし、まして地球は滅んだりなどしない。

しかし、現に人間が引き起こした「環境問題」によって、今この瞬間も、たくさんの生物種が絶滅している。一種の絶滅は、連鎖していくつもの生物種に影響を与え、生態系は、どんどん壊れていく。

世界の科学者たちは口をそろえて、「生物多様性がすべての生物種の存続にとって優しい」と言う。しかし、「人間のせいで」、生物多様性は、ここ数百万年の中で例のないほど早いスピードで壊れていっている。現在動植物の約100万種が絶滅危機にさらされていると言われている。現に、人間は人間だけでなく、地球上のたくさんの他の生物を、苦しめているのだ。

こういった観点を踏まえれば、「地球を守ろう」という言葉は、「(多種多様な生物が生きていける)地球を守ろう」が正しい解釈となるかもしれない。

そう、地球は決して滅びたりしない。

人間中心主義は変わらずにある

先ほども述べたように、人間は人間のために、進化を続けてきた。

多くの人が「環境問題」を「人間中心主義の結果だ!」と言う。

いつからか、人間は「生物」であることを忘れて、「人間は人間である」と勘違いするようになった。生物として本能的に備わっている「命を繋いでいくこと」や「種を守ること」よりも、「便利」や「富」を求め続けてきた。そしてその結果、多くの生物種を痛めつけた上に、人間という生物種の存続すらも危うくさせてしまった。

もはやこれを「人間中心主義」と呼べるのだろうか?自分の生物種を存続の危機に追い込んでいるのだから、「現世と近未来を生きる人間中心主義」とでも言った方が正しいのではないだろうか。自分の人生の豊かさや、自分の周りの人々の豊かさばかりを求めて、地球上の目に見えない他者やほかの生物を思いやることを忘れ、遠い先の未来のことを全く考えずに生きるようになっていたのだ。

そして、近年、人間たちは「このままだと人間が地球に住めなくなる」と焦り始めた。そして、「地球を守ろう」と叫ぶようになった。

つまり、その「地球を守ろう」という叫びも、「人間のため」である。

人間の「人間中心主義」は少しも変わっていないのだ。むしろ、「人間の存続中心主義」にようやくなり始めたのだ。なぜなら持続可能な生態系を残すことこそが人間という生物種のためになるからである。

しかし、先ほども述べたように、近年の「人間中心主義」は、「生物多様性に優しい」、つまり、「より多くの生物に優しい人間中心主義」ということになる。

「地球を守ろう」と叫ぶ前に、この事実をしっかりと受け止めておくべきである。

まるで地球が滅ぶかのように「地球を守ろう」と叫ぶのは間違っているし、他の絶滅の危機に瀕している生物のためだけに「地球を守ろう」と叫んでいるように見せることも、もしかすると間違っている。

人間は常に人間という生物種の存続を考える本能を持っているし、そのために動いている。

原因は全て我々人間であり、それをただ「ごめんなさい」と言って元に戻すのも、我々人間であるべきだ。我々はただそのためだけに、「地球を守ろう」と叫んでいるのだ。

謙虚に、この事実を受けとめ、我々人間は、子供、そのまた子供、そのまた子供、子孫のために、今すぐに、大きな声で、「地球を守ろう」と叫ぶしかない。

そのためには、地球上の目に見えない他者や、ほかの生物を思いやることが、大切なのだ。

人間は他の生物種のために生きれる

しかし、この話には違和感を感じる人がいるのではないだろうか。

いや、私はただ単純に、前提が「我々人間という生物種の存続のために」ではなく、ただ苦しんでいる生物を守りたい一心で、「地球を守ろう」と叫んでいるのだ!

と。

そう。先ほどまでは、人間は、「生物」であり、「生物」であるからには、自分たちの「種」が生き残るために生きるのだ、という前提に立って話した。

しかし、果たしてそうだろうか。

人間は、確かに他の生物とは似て非なるところがある。それは、「理性」がとても発達したということだ。

人間は、「理性」で「欲」を抑えることができるし、「理性」と「欲」を掛け合わせて「生物としての本能」を忘れることもできる。現に人間はそれを忘れて、自分の種を窮地に陥らせた。

これだけの高い知性や理性を備えているのは、人間をおいて他にはない。

つまり、我々人間は、本当の意味で、「人間を生き残らせるため」よりも、単純な愛で、「ほかの生物のため」に、命を費やせるかもしれないのだ。

どちらにせよ、少なくとも、環境問題を学ぶ前提として、こういったことと真剣に向き合って、自分なりに一度は考えておくべきではないだろうか。

参考
(1)BBC NEWS:人類のせいで「動植物100万種が絶滅危機」=国連主催会合:https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/04/
(2)JAMSTEC国立研究開発法人海洋研究開発機構×Splatoon:地球46億年の歴史と生命進化のストーリー:https://www.bbc.com/japanese/48182496